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藤切り祭

藤切り祭は富士山信仰の原形を残す唯一の祭典です。

 修験道系の祭典ですが、1つの祭典の中に仏事から神事までの流れが明確に残っており、神仏分離令(明治元年)、修験道禁止令(明治5年)の苦難を乗り越えて現代まで続く非常に貴重な神仏習合期の祭典です。
 世界宗教と民族宗教が共存できた例は日本と中国の一部にしか確認されていませんので世界的にみても非常に珍しい祭典といえると思います。

平成25年に国の選択無形民俗文化財に指定されました。

藤切り祭
明治後期から大正の頃に撮影されたとされる祭りの様子を写した現存する最古の写真。右側に現在と同様の御神木が確認できる。
■大正6年(山伏行列:上、稚児の舞:下)
藤切り祭 藤切り祭
藤切り祭
■昭和11年 ■昭和23年
藤切り祭 藤切り祭
大蛇を形どった藤の根を争奪する勇壮な祭り
 藤切会式は、千三百年前、修験道の開祖役小角(役行者)が、三十年間山に篭り苦行をし、法力を得て人々を救うと同時に、大蛇を退治し地域の人々を災厄から救った故事に習い、役小角の徳を慕い、その御利益にあずかろうと行なわれています。

 藤切り祭りの流れは、5月2日・藤取り、6日(平日の場合は5日)・旗立、8日は14時の天狗祭りにて、大蛇を御神木に祀り、16時には練り行列で薬師堂に向かい護摩祈祷を行います。

 続いて修験者は入峰(にゅうぶ)の所作に入ります。
 
 山伏問答、笈渡しの儀、修祓、投げ藤、宝弓の大事、宝剣の大事、斧祓の大事、薬師三尊に捧げる舞である稚児の舞(『鉾廻の儀』)を奉納します。

 その後修験者は、白根三山をあらわしている薬師堂前の三つ岩に移動し、これを登り降りすることで山や谷での修行を表現します。そして大蛇退治に向かうのですが、先発の修験者は大蛇があまりにも凶暴だったために命からがら逃げかえってきます。白根三山で役行者と出会った先発の修験者は、役行者と法力比べを行い、その法力に驚き、役行者に大蛇退治を委ねます。

 先発の修験者は山越えのため薬師堂の左側から裏山を回り、柴燈護摩の煙で大蛇を燻り出し、弓矢で大蛇の目を射て、最後に役行者が大蛇を退治します(高さ3間半もある御神木から七尋半の大蛇を形どった藤の根を切り落とす)。

 藤蔓は、果実豊作、開運成就、魔除けに効験あり(「破邪顕正の守護藤」)とされ、今日でも人々は競って奪い合い、家内安全の守りとしています。

藤切り祭
「仏事」と「神事」が共存する珍しい祭り
藤切り祭 大蛇の藤蔓が吊るされる御神木は、行者堂の前に据えられ、堂内の木造役行者椅像は鎌倉時代後期の作で、古くは御坂嶺上にあり、武田信春の時代に境内六所明神社に移され、その後当堂に安置されたとされます。
 御坂嶺の七覚山円楽寺でも藤切り祭が行われていたといい、この御坂嶺上に祭りの起源が求められそうであり、行者像とともに祭礼も伝えられた可能性が考えられます。

藤切り祭 一方この祭りは、別に「三枝祭り」とも呼ばれており、本堂内で行われる稚児舞が神道系のユリを携えて舞う巫女舞の名残りであったならば、その祭礼はさらに遡る可能性があり、中世後期、この二つの祭りが合体し今の姿となったとも考えられています。
 また、藤切り祭は、富士山信仰にも関係のある祭典とも言われております。
一つの祭典の中に「仏事」と「神事」が残る、非常に珍しい祭典で、「仏教(密教法会)−山伏神楽−稚児舞−神事」という平安末期から江戸時代までの神仏習合期の祭典の特徴を残しています。
藤切り祭
 いずれにしても、大善寺藤切り祭は富士山を仰ぐ御坂山嶺に起源を置く、春の越年修験系柱松行事が今日まで伝わる貴重な無形文化遺産であることには問違いないようです。

藤切り祭
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情報をお寄せください
当山では藤切り祭の歴史的研究調査を進めております。
かつては箱根神社、伊豆山権現、日向薬師、八管山光勝寺などでも類似する祭典が行われていたそうです。
そのほか全国に藤切り祭のような祭典がありましたらご一報ください。
祭りの規模などは問いません。宜しくお願いいたします。
藤切り祭
TEL 0553−44−0027  メール daizenji@katsunuma.ne.jp